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休筆のおわび

 3・11は多くの人々の運命を変えました。まちづくりを仕事としてきた私は、現地へすぐにでも支援に行きたいと思いましたが、足手まといになることを恐れ、各地で地域防災計画づくりなどに携わってきた経験から、次の巨大地震に備えるための提案をブログで行ってきました。
 また、福島第1原発事故は、私自身の人生を揺るがす大事件でした。
個人的なことで恐縮ですが、ひとり暮らしの母の実家の片づけを行うなかで、父が整理していた父母の年表や家系図、父母や祖父母、曾祖父母の写真などを見つけ、父母それぞれの生涯を示す写真集をつくり、親戚関係にも配りました。その時、びっくりしたことに、叔父・叔母や私の妹夫婦は父が広島に救援にでかけ、2次被曝したことを知らされていなかったのです。
 剛健そのものであった父は、この被曝により、長い間、雨の日などには、「体がだるい」「えろうておえん」といい、仕事を休んでいました。これは、雨が降ると、体がえらくて授業ができないと、授業をやめて広島での被爆体験をトツトツと語ってくれていた高校教師の症状と同じでした。典型的な「ブラブラ病」です。
 私は終戦の年に生まれたので放射能の影響は受けなかったのですが、父母はその後に生まれた妹に影響がでないか、ずっと、心配していました。そして、被曝の事実を周辺には隠し続けていたのです。
 幸い、父は健康には人一倍気を使い、何万人に一人という難病にはかかりましたが、長生きしました。その父の苦しみや苦悩が福島第1原発事故で蘇ってきたのです。同じことが、福島や関東の子どもたち(3人の孫も含まれます)におきる、と心配になりました。
 これは大変だと、3月12日よりブログを書き始め、13〜15日には2人の孫を連れて田舎に避難しました。5月から集会・デモに出かけるようになりましたが、たまたま、国際縄文学協会で先輩の上田篤元阪大教授の講演会があり、その時に『原発』国民投票の事務局長の今井一氏の講演もありました。
 そこで、この会の賛同人になり、カンパだけでもと思っていましたが、12月に東京で『原発』都民投票の取組みが始まってからは都内に出かけるついでに少しだけ手伝い、2月から埼玉県内の講演会などの集会に参加し、今は、6月6日までの埼玉県内8万人署名(有権者の1%)のために、最低、週3日は街頭に立って署名活動を行っています。

 このようなわけで、読者の方には申し訳ありませんが、古代史の方は、しばらく、休止させていただきます。今、私の頭の中にあることを書いておかなければ、と気が気ではないのですが、子どもや若者たちの未来の健康や生命のことを優先したいと思います。
 もし、「『原発』国民投票」にご関心がおありでしたら、是非、ホームページをご覧になり、ご署名をいただくとともに、賛同人になっていただければ幸いです。
今後とも、よろしくお願いします。                             日向 勤

※ 資料
『スサノオ・大国主の日国 霊の国の古代史』(日向勤著、梓書院)
※ 参考ブログ 
霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
神話探偵団(http://blog.goo.ne.jp/konanhina)
邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
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2011 「神武傭兵論」の深化から先へ


 読者の皆様には申し訳ありませんが、今年はこれでクローズさせていただきます。
 今年は、東日本大震災と福島第1原発事故に時間を取られ、遅々たる歩みになってしまいました。

 このブログ「霊(ひ)の国の古事記論」は、ブログ「霊の国:スサノオ・大国主命の研究」から2010年1月に分離し、連載を継続しているものです。
 私は戦前の「皇国史観」と戦後の「反皇国史観」を「霊(ひ)の国史観」によって乗り越え、神話時代のスサノオ・大国主一族による建国史を解明したいと考えていますが、本ブログは、この「霊(ひ)の国史観」から古事記を全体的に見直そうというものです。
 今年度は、天皇家が薩摩半島西南端の笠沙から、いわゆる「神武東征」を行う部分に取り組んでおり、「神武傭兵説」に立って、「神武東征はなかった1〜10」(30〜45回)を中心に、1〜10代までの天皇家の分析を行っています。
 本ブログは、古事記や日本書紀が「天皇家賛美」に貫かれていないことを明らかにし、出雲・筑紫神話に天皇家の歴史を接ぎ木した神話時代の「歴史書」たることを系統的に明らかにしてきました。その方法論については、ブログ「霊の国:スサノオ・大国主命の研究」において明らかにしています。
 戦後の反皇国史観が、反天皇制・反神道の立場から、「呪術史観」や「太陽信仰史観」に陥るという誤りを犯しているのに対し、本ブログは「霊(ひ)信仰史観」により、縄文から弥生、古墳時代に続く歴史を解明しています。
 また、反軍国主義の立場から、「神武東征」「ヤマトタケル東征」「神功皇后の新羅征伐」などを虚偽架空のものとしてきたのに対し、左右の「征服史観」から離れ、海人(あま)族の「交易国家論」と妻問い婚による「霊(ひ)継ぎ王朝史観」により古事記分析を行っています。

 神話時代以降は、記紀など文字資料や古墳などの考古学的な資料が飛躍的に増え、分析がなかなか進みませんが、葛城国対磯城国の争いに介入する「神武傭兵論」に到達した地点から、先に進もうと考えています。
 引き続き、よろしくご愛読をお願いたします。

 2012年の皆様のご多幸をお祈りいたします。                  hinafkinn(日向勤)

※ 資料
『スサノオ・大国主の日国 霊の国の古代史』(日向勤著、梓書院)
※ 参考ホームページ
霊(ひ)の国古代史研究室(http://www.geocities.jp/hinatsutomu)
※ 参考ブログ 
霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
神話探偵団(http://blog.goo.ne.jp/konanhina)
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連載中断のおわび

皆様へ
 最後の残り仕事の報告書作成に集中するため、1〜2週間、ブログを休ませていただきます。
なお、ようやく「霊(ひ)の国史観」の全体像が固まってきたので、「霊(ひ)の国古代史研究所」というホームページを立ち上げ、これまでバラバラに書いてきた5つのブログの目次の掲載を進めています。
現在、「霊の国:スサノオ・大国主命の研究」「霊(ひ)の国の古事記論」「神話探偵団」の3つをアップし、残りも数日中に完成したいと思っています。
 前著『スサノオ・大国主の日国 霊の国の古代史』や、ブログ相互に矛盾するところが出てきていますが、真実に到達するためには、いくつもの仮説を立てて検証しなければならない、と考えております。
そして、最後に日中の文献、考古学の成果、神社伝承などの全体を矛盾なく説明できる統一仮説によって、古代史の全体を解明したいと考えています。

2011年11月24日
hinafkinn(日向勤)
<「霊(ひ)の国古代史研究所」のアドレス>
http://www.geocities.jp/hinatsutomu/

<「霊(ひ)の国古代史研究所」の序文>
 高天原神話を絶対視した戦前の「皇国史観」、記紀の神話編を全て無視した戦後の「反皇国史観」に対し、第3の古代史フレーム(パラダイム)として「霊(ひ)の国史観」に基づく「スサノオ=大国主一族による建国」を研究するホームページです。
 2009年3月に『スサノオ・大国主の日国 霊の国の古代史』(梓書院)を上梓し、その頃から、並行して5つの古代史ブログを書いてきましたが、ようやく全体像に迫ってきましたので、このHPを開設し、次の5つの古代史ブログの目次を紹介したいと思います。

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霊(ひ)の国の古事記論53 磯城王・大物主一族の墓を探せ

行燈山古墳
写真:行燈山古墳(全長242m。崇神天皇陵に比定されているが、全長278mの箸墓よりも小さい)

皇国史観の尻尾を引きずった「大和中心主義(ネオ皇国史観)」と「邪馬台国畿内説」が合体し、この国の古代史はすっかりねじ曲げられてしまった。原子力村と同じで、この考古学村は外からみる人にはすっかり裸の王様になってしまっているのであるが、いまだにマスコミなどに盤踞している。

 その最大の寄りどころは、記紀を援用して大市墓(箸中山古墳)をヤマトトトヒモモソ媛の箸墓と呼び、さらには卑弥呼の墓とする奇妙な主張である。
箸墓は最古の巨大な前方後円墳であり、天皇家の皇女ヤマトトトヒモモソ媛=卑弥呼の墓であって、邪馬台国=天皇家であり、前方後円墳の全国的な広がりは、天皇家の全国支配を示している、とする論理である。
 この主張にとって都合がいいのは、宮内庁が箸墓を皇族の墓として、発掘を許可しないことである。宮内庁に守られ、この説の真偽は考古学的に直接的に証明されることはないのである。記紀によって、幸運かつ皮肉にも箸墓=卑弥呼墓説は守られているのである。最近は、いろいろと矛盾が生じてきて、箸墓=壹与墓説、壹与の次王墓説などが登場しているが、同じ穴のムジナである。

 この箸墓=卑弥呼墓説は致命的な欠陥を抱えている。自動的にスイッチが入る自爆装置=日本書紀の上に乗っているのである。
 そもそも、戦後の反皇国史観は、記紀の記載を信用ならないものとしてきた。
 ところが、箸墓=卑弥呼墓説はそのタブーを破り、日本書紀に基づき、箸墓=ヤマトトトヒモモソ媛の墓と決めつけている。さらに、箸墓が卑弥呼と同時代の可能性がある(実際には同時代ではありえない)という以外に何の証明もない卑弥呼の墓としているのである。
 
 まず、箸墓=ヤマトトトヒモモソ媛墓説を掲げたとたんに、第1の自爆装置のスイッチが入る。
 この仮説は、日本書紀のヤマトトトヒモモソ媛の記載が正しいという爆薬の上に乗っているのである。日本書紀によれば、ヤマトトトヒモモソ媛は天皇家から大物主の妃(正妃ではない、単なる通い妻である)になった人物である。もし箸墓がヤマトトトヒモモソ媛の墓だとすると、当然ながら、その夫の大物主のもっと大きな前方後円墳がなければならない。
第1の可能性は、磯城王の大物主(スサノオの子、大年の後継者。代々、大物主を名乗ったと考えられる)の墓は箸墓(全長278m)よりも大きい渋谷向山古墳(310m:景行天皇陵に比定)と考える仮説である。
第2の可能性は、箸墓は大物主の墓であり、ヤマトトトヒモモソ媛は大物主の死後に自殺してその墓に合葬された、という仮説である。
 第3の可能性は、大物主は「入彦」の崇神天皇に殺されてどこかに埋めれられ、後追い自殺した妻のヤマトトトヒモモソ媛のために箸墓が造られた、という仮説である。
 いずれにせよ、箸墓=ヤマトトトヒモモソ媛墓説は日本書紀の記載は信用できるとするのであるから、夫の大物主の墓についても説明しないと論理的な首尾一貫性はない。箸墓=ヤマトトトヒモモソ媛墓説を採用すると、箸墓よりも大きい渋谷向山古墳を大物主の墓とするか、箸墓を大物主とヤマトトトヒモモソ媛の墓とせざるをえない。
そうすると、巨大な前方後円墳時代の幕開けは、スサノオの子の大年=大物主の一族によって開始され、その宗教思想のもとに、全国に広まった、ということにならざるをえない。なお、その場合には、箸墓(全長278m)や渋谷向山古墳(310m)は、崇神天皇陵(全長242mの行燈山古墳や234mの西山塚古墳に比定)よりも大きく、当時は磯城王の大物主の権威の方が、天皇家よりも高かったことになる。
 
次に、ヤマトトトヒモモソ媛=卑弥呼説の自爆をみよう。
日本書紀によれば、ヤマトトトヒモモソ媛は7代孝霊天皇の皇女で、大物主命(大田田根子が継承したと考えられる)の妻となったと伝えており、邪馬台国の卑弥呼とは、名前や地位、魏への遣使、弟王との争い、狗奴国との戦争など、なに1つ重なるところがない。
 日本書紀を信用できるとし、ヤマトトトヒモモソ媛の箸墓にスポットをあてた以上、日本書紀のヤマトトトヒモモソ媛の記載全部を信用しなければならない。そして、魏書東夷伝倭人条に書かれた卑弥呼と対照し、異同を論じるのが科学的な態度である。
日本書紀のヤマトトトヒモモソ媛の記載と魏書東夷伝倭人条の卑弥呼の記載が一致しない以上、両者は全くの別人とする以外にない。
繰り返すが、考古学で箸墓=卑弥呼墓が証明されたのではない。日本書紀と魏書東夷伝倭人条で箸墓=卑弥呼墓を証明しようというなら、その記載に即した証明手続きが必要である。狭い世界に安住する考古学者が、ヤマトトトヒモモソ媛だけをつまみ食いして、論じるような世界ではない。
ヤマトトトヒモモソ媛を日本書紀からつまみ食いし、卑弥呼と結びつけようとしたとたんに、第2の自爆スイッチが入るのである。

いずれにしても、箸墓=ヤマトトトヒモモソ媛墓=卑弥呼墓説は、2つの自爆スイッチを押して、完全に粉砕されている。日本書紀という同じ爆薬の上に乗っている邪馬台国畿内説=大和中心主義も同時に爆破されてしまったのは、言うまでもない。
なお、邪馬台国畿内説の人々によって、纒向遺跡の発掘や炭素14年法や年輪年代法による「科学的な年代測定」(現状は、邪馬台国畿内説のための測定にすぎないが)が精力的に進められるのは大いに歓迎したい。
掘れば掘るほど、年代測定が全国の遺跡で進めば進むほど、スサノオ〜大物主一族の磯城国の姿が明らかになり、私のスサノオ・大国主による建国が証明されてくるからである。

※ 資料
『スサノオ・大国主の日国 霊の国の古代史』(日向勤著、梓書院)
※ 参考ブログ 
霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
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霊(ひ)の国の古事記論52 天皇家と磯城国と葛城国

大市墓
写真は筆者が大物主の墓で、ヤマトトトヒモモソ媛が合葬されたと考える大市墓(通称:箸墓)


このブログ「43 『神武東征はなかった』8 ワカミケヌ東征の時期」において、私は次のように書いた。

若御毛沼が奈良盆地に入った時には、磯城のホケノ山古墳を始めとする前方後円墳は成立しており、神武以降の9代は、磯城王あるいは葛城王の配下として、軍事部隊を形成したと考えられる。 

 古事記の記載から、私は若御毛沼(ワカミケヌ:後の神武天皇)達の部隊は、宇陀国王の兄弟争いや磯城国王(大物主一族)の兄弟争いに乗じて、弟王に荷担し、その軍事部隊(宮廷内抗争の暗殺部隊)として勢力を拡大していった、と考えていたのであるが、前半は正しいものの、後半は間違っていたことに気付いた
 私は「42 『神武東征はなかった』7 奈良盆地への進入」において、若御毛沼達が「吉野から葛城(御所市・葛城市・大和高田市など)の平野部に入らず、その背後の険しい道無き道を進んで宇陀に入っている」と書いたが、この時は、なぜ若御毛沼達は葛城に入れなかったのか、を深く考えていなかった。
ようやく、その謎が解けた。
 考えられる合理的な仮説は、大国主命の子のアジスキタカヒコネ(迦毛大御神)の子孫を王とする葛城国と、スサノオの子の大物主一族の磯城国が、人口の増大に伴って奈良盆地内で対立関係に陥り、若御毛沼達は、磯城国王に傭兵部隊として招かれた可能性である。
 最初、若御毛沼達は生駒から奈良盆地に入ろうとしたが、摂津国を支配する大国主の子の火明命の数代後の後継王のナガスネ彦に阻止され、敗退することになった。普通なら、ここで、出発地の吉備や筑紫に向けて退却するはずであるが、紀伊半島を迂回して奈良盆地を目指したということは、ナガスネ彦の背後の奈良盆地に、若御毛沼を必要とし、受け入れる国があった可能性が強い。
 紀ノ川から葛城に入るルートが最短距離であるが、若御毛沼達が葛城ルートを取れなかったことをみると、若御毛沼命達がめざしたのは葛城国ではない。その影響下にある国々を避けて、吉野から宇陀へと山中を密かに移動し、葛城国の背後から磯城国をめざした可能性が高い。
 私は、若御毛沼とその後継者の1・2・3・4代が、葛城と磯城の緩衝地帯の磐余(現在の橿原市)に墓を置き、5・6代の王が葛城(現在の御所市)に墓を設けていることから、若御毛沼達は葛城国王の私兵となった可能性が高いと考えていたが、2〜7代が「磯城県主」の一族から正妃と妃を迎えていることからみて、磯城国王の傭兵となって葛城国に対抗し、圧力をかけるために葛城の地に墓を設けた、と考えるにいたった。

 少彦名を失って失意の大国主のもとに、磯城国王の大物主(代々、大物主を襲名)は朝日を背後に浴びながら、播磨の印南にいた大国主を訪ね、国造りに協力することを申し入れ、ここに、銅鐸圏と銅槍圏(通説は銅剣圏)の平和的な統合が進み、その条件として、大国主は大物主を祀るのであるが、その後、大国主の子孫が広く各国に進出し、勢力を拡大するに連れて、大和盆地の葛城国と磯城国には争いが生じた可能性が高い。
 播磨国風土記には、大倭国の畝火と香山と耳梨との3つの山が相闘うと聞いて、出雲国の阿菩大神がその争いを仲裁しようと播磨の狭野村に上ってきたとき、闘いが止んだと聞いて、その乗ってきた船を覆して坐した、という伝承が掲載されているが、この伝承は磯城国と葛城国などが接する大和三山の地で出雲族同士の闘いがあったことを示している。

 国造りに協力し合った大国主一族と大物主一族の間で、奈良盆地内で勢力争いがあった、という仮説を立て、若御毛沼達は磯城国の傭兵として重用されて勢力を拡大したとすると、例えば、後の蘇我氏と物部氏の争いなども、大国主系の蘇我氏と、大物主系の物部氏の争いとして合理的に説明づけることができ、さらに壬申の乱など、天皇家の後継者争いについても、その背後に大国主系と、大物主系の国々の対立があった、と合理的に説明づけることができる。
 今後、この奈良盆地における磯城国対葛城国の勢力争い、という仮説のもとに、古事記論を進めていきたい。

※ 資料
『スサノオ・大国主の日国 霊の国の古代史』(日向勤著、梓書院)
※ 参考ブログ 
霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
神話探偵団(http://blog.goo.ne.jp/konanhina)
邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
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プロフィール

hinafkinn

Author:hinafkinn
日向勤(64歳)
まちづくりプランナーとして、各地で仕事をするうちに、青森県東北町で「日本中央」の石碑に出会い、古代史へ。現在は、ボランティア活動を主としながら、主に、神話時代の古代史を探究中。

著書:『スサノオ・大国主の日国 霊の国の古代史』(梓書院)
ブログ:「霊の国:スサノオ・大国主命の研究」(YAHOO)、「神話探偵団」(goo)、「邪馬台国探偵団」(Seesaa)、「帆人の古代史メモ」(livedoor)

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